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窪田庭園、新テラス完成 日本とノースウェストの技術集合

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新テラス完成式典のテープカッティング。

シアトル南に位置し、コミュニティーの密かな憩いの場となっている窪田庭園で新たな展望施設が完成、5月21日に完成式典が開かれた。

 庭園南側の高台に作られた施設は、石垣を土台とする木製のあずまやで、北側の庭園各所を一望できる新スポットとなる。コミュニティー行事などの開催場所としても期待される。

 窪田庭園は日系移民の庭園師、故窪田藤太郎氏により1927年に開かれた。ノースウエストの自然を生かし、日本のヘリテージも盛り込んだ庭園は、開園時の5エーカーから20エーカーに広がりを見せ、庭園財団をはじめ支援者により守られ続けている。

 式典であいさつに立ったマレー市長はノースウエストと日本の庭園観を持ち込んだ窪田庭園の歴史を説明、「この新しい建築物は、シアトルと日本の人々による揺ぎない友好関係を象徴するものです」と述べた。

 窪田庭園財団のジョイ・オカザキ会長によると、新テラスの建設は窪田家のトムさんの提案で始まった。あずまやは地元日系建築家のボブ、ケンジ・ホシデさん、周りのスチール手すりは彫刻家のジャラード・ツタカワさんが担当。日本からは石垣作り職人で粟田建設15代目の粟田純徳社長が参加、地元石業者マレナコスの児嶋健太郎さんの協力を受け、昨年に石垣作りのワークショップを開催するなど伝統技術紹介にあたった。 

 オカザキ会長は「官、民、さまざまなレベルで協力し合ったプロジェクト」と説明。完成した建築物を目にした粟田さんは、「日本の石垣伝統文化に触れることができる機会。石も生きているので、触ってみて熱さ、冷たさを感じ取ってもらえれば」と石への思いを打ち明ける。「庭園と石はいつも一緒にあるもの」と語り、伝統技術を残すため、米国でも石垣普及に務める意向を見せた。

 窪田庭園財団によると、展望建築物はガラス屋根の取り付けが残っており、支援寄付を募りながら今秋の完成を目指している。完成後は庭園入り口部分でビジターセンターの建設計画を始める予定という。

 窪田庭園について詳しくはwww.kubotagarden.orgまで。

(記事・写真 = 佐々木 志峰)


シアトル国際映画祭 『思い出のマーニー』が家族映画賞

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 第41回シアトル国際映画祭(SIFF)が5月14日から開かれ、92カ国から各ジャンル映画450本が上映。7日に同映画祭における優秀作品などの発表が行われた。

 日本や日系関連映画も数多く上映され、スタジオジブリによるアニメ映画『When Marnie Was There(邦題:思い出のマーニー)』が若手審査員による最優秀家族向け映画賞を獲得した。

 日系俳優デイビッド・サクライさんが出演、日本の妖狐伝承を取り入れたハンガリーでの非日常を描いた作品『Liza, the Fox-Fairy』のカーロイ・ウッイ・メーサーロシュ監督が、SIFF審査員による最優秀新人監督に選ばれた。

 9万票が集まった一般観客からの投票によるベスト映画はニュージーランド映画の『The Dark Horse』、ベストドキュメンタリーは米国の『Romeo is Bleeding』だった。

 受賞作品など詳しくはwww.siff.net/cinema/film-series/best-of-siff-2015まで。

(N・A・P)

Japanese Anime Arts Festival Held at Everett College

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resize0129The first Japanese Anime Arts Festival was held at Everett Community College on May 29 and 30. It was a collaboration between the Japanese Club and the college’s Nippon Business Institute with support from the City of Everett Cultural Arts Commission and Consulate General of Japan in Seattle.

The event featured a variety of activities related to the culture of kimono, film screenings and others. A demonstration of a Japanese tea ceremony at a Japanese tea house was the most popular activity, and a performance and folk dance lesson was given by Okinawa Kenjin Kai Taiko at the outdoor stage as participants got involved in trying their hands at taiko.

The mascot “Trojan-chan” was created by manga artist Yoshimi Kurata who is known for “Ajiichimonme.” Many participants also dressed up in anime costumes and enjoyed experiencing Japanese culture for the weekend.

Photo by Hiromu Yamagata/ The North American Post 

   エベレット・コミュニティカレッジで5月29、30日、日本文化やアニメをテーマとするイベント「Japanese Anime Arts Festival」が行われた。同カレッジでは初となる試みは市文化芸術委員会と在シアトル総領事館による後援の下で開催となった。

 会場内では着物の着付けなど日本文化について講義形式でのプレゼンテーションやアニメ映画上映が行われた他、アニメグッズやお茶の販売ブースも設けられた。中でも構内の日本庭園にある本格茶室での茶道体験は人気で、先着順チケットは完売となった。屋外ステージでは沖縄太鼓県人会による太鼓のパフォーマンスが行われ、参加者もまじえたデモンストレーションで会場を盛り上げた。

 イベントのマスコットは同校のシンボルとなるトロイの騎士を元に「味いちもんめ」で知られる漫画家倉田よしみ氏が手掛けた。会場には多くの日本人の他、アニメコスプレに身を包む参加者も見られ、日本文化を広く伝える有意義な週末となった。

(写真 = 山形 鴻夢)

日本街の一角に広がる日系パブリックアート、ヒラバヤシプレースで公開

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当地日本町が広がっていたインターナショナル・ディストリクトの一角に建設が進められるアパート「ヒラバヤシプレース」は、建物の名前を日系人権活動家の故ゴードン・ヒラバヤシ氏を縁とする。建物完成の暁には地元芸術家が参加するアートプロジェクト「Legacy of Justice」を通し、ヒラバヤシ氏や日系社会、地元日本町の歩みが紹介される。

 建物内外に作られる7つのパブリックアートは日系アーティストを中心に制作されている。ヒラバヤシ氏の一生を描いた壁画はロジャー・シモムラさん、『Man from White River 』と題したラリー・マツダさんの詩も飾られる。ヒラバヤシ氏が残したコメントが建物周りの路上に記されるほか、曽我部アキさん、エイミー・ニカイタニさん、ジョナサン・ワクダ・フィシャーさん、ノリ・サトウさんら地元芸術家がプロジェクトに関わっている。

 プロジェクトのリーダーでもあるサトウさんは、442 South Main Streetとなる同所住所が冠する「442」に大きな意味を持つと語る。これにあわせ日系部隊、第442連隊戦闘団に所属したトッシュ・オカモトさんが木彫り作品を寄贈した。

 ヒラバヤシプレースは地元団体Interim CDAの事業で、全96部屋、託児所なども備えたアパート施設となる。2日にパイオニアスクエアで行われたアート作品の公開日では、シアトル市から10万㌦の助成があったことも発表された。「Legacy of Justice」に関して、詳しくはhttp://interimicda.org/legacyofjustice/まで。

 

(記事 = 佐々木 志峰)

シアトル市長芸術賞

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デンショー高森暁夫さん受賞

2015年度シアトル市長芸術賞の受賞者が7月21日に発表された。受賞5部門で日系アーティストの高森暁夫さんがArts&Innovation 賞、非営利団体デンショーが文化保存賞を受賞した。

 創造と革新性あふれるシアトルに貢献を果たす芸術、クリエイティブ市場、文化団体へ毎年表彰を行う。シアトル芸術委員会が400の個人、団体候補から受賞推薦した。

 高森さんは延岡出身。1974年に渡米、芸術活動に携わっている。ワシントン大学名誉教授。デンショーは日系人の体験資料をデジタル化し一般公開、教育面を含め文化多様性の紹介に貢献を果たしている。

 授賞式は9月4日午後4時にシアトルセンター内の堀内壁画前で開かれる。詳しくはwww.seattle.gov/arts/events/arts_awards.aspまで。

(N・A・P)

ノース平田美知さんピアノ公演 デビュー75周年 20日に日本文化会館ファンド行事

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ノース美和さん 写真提供 = ワ州日本文化会館

国際的な名声を持つ地元ピアニストのノース平田美知さんが20日、ワシントン大学のミーニーホールでリサイタルを開催する。8歳の初舞台から75周年の記念コンサートとなる。

 ノースさんは1940年、わずか8歳で尾高尚指揮の親交響楽団(現在のNHK交響楽団)とモーツァルトのピアノ競争曲第27番変ロ長調ケッヘル番号595番を演奏。「天才ピアニスト」と呼ばれ、その腕前は全国から注目を浴びるようになる。

 爆撃の危険性から大勢が集まる公演が中止されるまで、東京各所で演奏依頼が続いた。45年3月には疲弊した国民を癒すべく、彼女のピアノ演奏を織り交ぜたドキュメンタリー映画の製作が政府主導で計画された。

 しかし、同月の東京大空襲で建設済みだった撮影所は消失、計画はとん挫する。ノースさんも目白の自宅から避難。手には砂糖一袋とドイツから届いたチャイコフスキーの楽譜集があったという。

 ピアノ教室だった自宅は幸い無事だった。西洋風の外観で家屋も大きかったため、戦後は進駐軍の目に留まり、将校の臨時本部として接収する話が持ち上がったという。

 ノースさんの父親は、「私の家を奪うということは、音楽を奪うということだ」と反対。音楽への共通の思いからか、家は接収を免れ、ノースさんのピアノ音は流れ続けることになる。

 やがて音楽愛好家兼指揮者だったカーミット・スチュワート米陸軍大尉がノースさんの才能を認めた。米国人作曲家、ジョージ・ガーシュウィンの『ラプソティー・イン・ブルー』の演奏を依頼した。

 日本ではまだ新しい曲で、技術的にも高度なものだったが、挑戦への喜びが大きかったとノースさんは振り返る。47年、当時のアーニー・パイル劇場(現在の東京宝塚劇場)で演奏を披露。好評を博し、その後も100回以上にわたる公演が行われた。

 ノースさんの生涯は本紙英語紙面で掲載中の日系漫画「シアトル友達」でも紹介されている。80歳を過ぎた今もベルビューで若い世代へのピアノ指導を続けている。1958年以来続けている指導は高い評判を集め、数カ月間の指導を受けに海外から訪れることもあるという。

 東京大空襲の避難で手に取った、自身の宝物だった1920年代出版のチャイコフスキーの楽譜集は、年を経て茶色くなり、ふちがすりへってしまったが、今も大切に持っているという。

 デビュー75周年を迎え、20日には記念公演が開催される。ジュリア・タイさん指揮のもとノースウエスト交響楽団と共演、ショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ長調が演奏される予定。

公演の収益はワ州日本文化会館に寄付される。

 公演は午後5時から。35㌦。学生20㌦。チケット購入はhttp:// www.brownpapertickets.com/event/1586211、イベント詳細はwww.jcccw.orgまで。 

(澤本 彩乃)

スター・ウォーズ仕様の機体 ANAが公開 国際線で運行

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2日にロールアウトされたANAのスターウォーズ特別塗装機。 写真提供 = ANA

ANA(全日本空輸)は12日、エベレット市のペインフィールドで人気映画「スター・ウォーズ」を描いた特別塗装機「R2-D2 ANA JET」の発表会を行った。イベントにはボーイング、ANAやメディア関係者らが集まり、映画の人気キャラクターR2-D2とC-3POの姿もあった。

 公開された期待は787|9型機。スター・ウォーズのキャラクターを塗装した機体は世界初となる。今後は内装作業などを経て9月末に機体が引き渡され、今後は羽田―バンクーバーで初運行、北米のシアトル、サンノゼ、欧州、アジア各国への日本からの国際便にも運航利用される。

 特別塗装機は3機が運航予定。今回のロールアウト機「R2-D2」に加え、北米路線で予定される777|300ER型機の「BB-8 ANA JET」、767|300ER型で国内線で予定される「STAR WARS ANA JET」の2体が続く。ANAはウォルト・ディズニー・ジャパンとの契約により、2020年3月まで「スター・ウォーズ・プロジェクト」を展開。国際線事業を中心に強化を図り、ビジネスの認知度向上を目指す。

(N・A・P)

アジア人へ与えた勇気 ブルース・リー特別展、2年目始まる

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ヌンチャクでトレーニングするブルース・リー氏   ©Bruce Lee Enterprises, LLC.

映画俳優で武術家のブルース・リー氏の人生に焦点を当てた展示会「Do You Know Bruce? Breaking Barriers」が3日から、インターナショナル・ディストリクトのウイングルーク博物館で一般公開されている。同氏についての展示会は去年から1年ごとに3回開催を予定しており今年で2年目。

今回の展示はシアトルでの生活にも触れつつ、主に差別的な偏見や障害が多かった時代にメディアや映画業界で残してきたインパクトに注目した内容となっている。同氏はワシントン大学に在籍していたことで知られるが、当時カンフーの授業を開き、またリンダ・リー夫人と出会う場所となるスタジオがあったアパート写真やチャイナタウンにあったスタジオ内部の写真など貴重な資料が展示されており、シアトルが重要な場所であったことがわかる。
ブルース・リー氏を一躍有名にしたドラマ『グリーンホーネット』については博物館1階と2階に展示スペースを設けている。展示物は主にドラマのポスターや当時のおもちゃなどが中心だが、日本で発売された同映画のテーマソングが収録されたレコードなども展示されている。
同ドラマでは日系人のカトー役を演じ、アクションシーンで人気を博したが、ブルース・リー氏が俳優としての成功を収めるまで常に苦闘し続けていたと、メディアイベントに来場したリー夫人は語っていた。当時の米国映像業界においては、中国人イコール悪役という風潮が非常に強く、彼らを主役として起用することがほぼなかったという背景に起因する。
そうした状況の中でも、ブルース・リー氏は一人の人間を演じることにこだわり続けていたという。「彼は常に自分を表現することを強調し続けていて、『自分という人間を受け入れなさいと言っていました』」とリー夫人は振り返る。
展示会にコレクションを寄贈したジェフ・チン氏は「私が小学生だったころは差別が強く残っており、学校に行く度に嫌な思いをしました。ブルース・リー氏が有名になった途端、みんなに話しかけられるようになり、自分が中国人であることを誇れるようになりました」と語る。
人種的差別の強かった時代に、俳優として名を馳せることでブルース・リー氏がアジアの人々に与えた影響は計り知れない。勇気づけられた人が数多くいてもおかしくはない。
今展示会は来年9月4日まで。詳しくはwww.wingluke.orgまで。

(白波瀬 大海)


山海塾シアトル公演「うむすな」、世界観を徹底

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写真提供 = 山海塾

ニューヨーク・タイムス紙において「最も独創的で驚くべきパフォーマンス集団の一つ」と評された、日本の舞踏パフォーマンス集団「山海塾」の公演が1日から3日まで、ワシントン大学のミーニーホールで行われた。
 今回のテーマとされる「うむすな」は、「うまれた場所」を意味する。主に地・水・火・風の四元素を象徴とする4つのパートで構成され、全体的にゆっくりとした動きでパフォーマンスが展開された。
 音の演出もそれに準じたものになっており、特に一つ目から二つ目の元素の切り替え場面において、突然鳴り響いた音に驚いてしまう人が多く出る程だった。舞台上には砂が散布されており、舞う砂埃がパフォーマーの動きに躍動感を与えているように見受けられた。
 静から動、動から静、無音から有音などのふり幅のかなり効いたパフォーマンスに観客は終始集中して見入っていた。
 1時間30分にわたって行われた公演が終了した際には、惜しみない拍手と歓声が送られ最終的にスタンディングオベーションとなっていた。
 観客からの拍手に対してパフォーマー達は最後まで特徴的なゆっくりとした動きで手を振り返したりと最後までその世界観を徹底。観客たちも一際大きな盛り上がりを見せて終幕を迎えた。
 山海塾は1985年に行われたシアトル公演で起きた転落事故が思い出される。しかし500人を収容できる会場はほぼ満席、当時の事故のことを知っていてもおかしくない年齢層が中心で、当時の事故が尾を引いているような印象は受けなかった。
 開演されるまではざわついていた会場だが、照明が落とされたと同時に一気に静まり返るなど、大きな注目が山海塾に集まっていた。

(白波瀬 大海)

若い世代の日系人 活動の源を追う 第二回トロイ・オオサキさん(ポエトリーリーディング)

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ポエトリーリーディングを披露するオオサキさん
写真提供 = トロイ・オオサキ

シアトル地域で活動する若い日系人たち。日系の父とフィリピン系の母を持つトロイ・オオサキさんは、ポエトリーリーディングで社会へ向けて意見を発信している。ワシントン大学(UW)のアメリカン・エスニックスタディーズ(民族学)でアジア系米国人民族学を専攻、卒業後、地元で詩を教える仕事についたあと、現在はシアトル大学のロースクールに通っている。

創作活動を始めたのは、小学生のときからという。ミュージシャンを目指し、ギターやベースを弾き、詩よりも歌の歌詞を書いていた。
高校生になり、英語の授業で詩のワークショップに参加、詩や物語を芸術的にパフォーマンスする「スポークンワード」と出会った。
「すごく興味を持ち、そのワークショップでいろいろ聞きました。オープンマイクや詩を書くサークルを教えてもらい、若者がそういった芸術を学べる場、ユーススピークシアトルについて教えてもらったりしました」とオオサキさんは振り返る。
詩の書き方を学び、舞台でパフォーマンスするなど経験を積み、UW在学中には、大学チームやシアトル代表チームとしても活動した。
元々は詩の面白さに気づき、始めたポエトリーリーディングの活動。一方で、詩は自分の考え、意見を伝えるだけでなく、アイデンティティについて考える手助けになることも気づいたという。
「成長していく中で、自分に関係のある文化や、自身のルーツについて学ぶ機会は、正直多くありませんでした」と明かすオオサキさん。「詩を書くという作業を通して自分について考える機会が増え、自分に関係のある文化をもっと学び、理解したいと思うようになりました。自分のルーツと関係する文化があることは特権なのではないか、と今では思っています」

troy osaki legacy of justice event 4c

地元日系関連行事でもパフォーマンスを披露するオオサキさん(北米報知アーカイブ)

地元出身の日系四世。フィリピン系でもあり、また米国人ということを満喫していると語る。「もっと色々なことを学びたいと思っています。日本やフィリピンにも行きました」
UWでは日本語も学んだというが、三世の父親は日本に対する意識は希薄だたと明かす。第二次世界大戦の影響を含め、時代ごとに状況も違い、オオサキさんをはじめ日本への興味を持つ四世、五世も増えている。図書館などコミュニティスペースを使ってアイデンティティや日系人に関するディスカッションや関連映画の上映会といった活動に参加したという。
ススムという日本語名も持ち、自身の作品集のタイトルにも使われている。各作品には日系のアイデンティティーが各所で表現されている。ポエトリーリーディングや音楽、絵といった芸術を、多世代間交流をする一つの可能性として捉えている。
「一世や二世の素晴らしい歴史を残し続けていきたいという思いがあります。彼らから色々なことを学べたらと思っていますし、若い世代も協力して何かやっていけたら」とオオサキさん。
排斥の歴史を乗り越えてきた日系人。他人種も同様の経験を過去、現在と直面してきている。若い世代で歴史を伝えながら、他人種の支援など、「お互い助け合うために、団結するのが大切」と話す。
「社会の中で、ほかの人より特権を持っている人々がいる。そういう特権にまず気づき、差別されている人々を助けなければいけません。彼らが『声』を持てるように、それを皆に聞いてもらえるように手助けして、彼らの存在を明らかにしなければ」
ポエトリーリーディングも社会活動の重要なツールとなる。「自身の先祖に敬意をはらい、また社会正義のために、抵抗したり、活動を起こしたりということを続けていきたい」――。オオサキさんは真摯な目を向け、力強く語った。

(岩崎 史香)

忘れられた日系写真家 エルマー・オガワ氏の伝記 オンライン書籍で発刊

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 1950年から60年代にインターナショナル・ディストリクトやパイオニアスクエアで活動した日系写真家エルマー・オガワ氏を綴った『エルマー・オガワ:シアトルの忘れられた写真家とのアフター・アワーズ』が電子書籍で発刊された。当地でもほとんど知られていなかった日系人の驚くべき人生と、地元歴史の無数の断片が語られたユニークな伝記だ。

 著者のトッド・マシューさんは、故オガワ氏の写真や手紙、また女優で歌手のスズキ・パットさんら友人、家族へのインタビューや、ワシントン大学貯蔵の写真を通じ、さまざまな逸話の背景を明かしている。マシューさんに話を聞いてみた。
 
どのようにオガワ氏の仕事に関わるようになったのですか。

「私は約20年間、シアトルでジャーナリストをしてきました。多くの新聞や雑誌にフリーランスで記事を書くことから出発しました。過去10年はタコマの小さな新聞社で編集者、リポーター、また写真家としてフルタイムで働いてきました。そして数年前にシアトルの古いギャンブルクラブについて本を書くためにワシントン大学で調べ物をしていた時、エルマー・オガワ氏の写真を見つけました」

オガワ氏の写真について教えてください。

「オガワ氏はよく、日系新聞のパシフィック・シチズン紙や雑誌シーンマガジンの社会面のために、日系人や地元芸術家、フェスティバルなどの撮影をしていました。また自分の写真も撮っていました。彼は『仕事中のオガワ』シリーズで、撮影準備をし、写真を現像する彼自身の写真など、面白い写真を撮っていました。
 疑いもなく、私のお気に入りの写真は地元のバーでの写真です。いくつか例を挙げると、ティムズ・タバーン、バンブー・イン、クロンダイク・カフェやバーニーズ・カフェなどです。

 オガワ氏は社交場での労働者たちのエネルギーを見事に撮影しています。仕事終わりにマウントレーニエビールを共に飲み、ビリヤードをし、またボックス席で和気あいあいと楽しむ人々の友情を多くの写真に収めました。バーテンダーらスタッフのポートレイトも好きです。写真での姿はリラックスし、無防備に見えます。オガワ氏の人間性、存在がうかがい知れます。

 実際に彼は常連客の一員でした。仕事の後、バーに立ち寄り、友人と落ち合い、写真を撮っていたのだと思います」

なぜオガワ氏の写真をシェアすることが重要なのでしょうか。

 「1970年に死去するまで、彼は1950年代初期から1960年代終わりにかけてのシアトルの歴史を伝える何千もの写真を残しました。バーや酒場のみならず、地元の文化行事や日系市民協会など地元団体の活動も追っていました。

 オガワ氏の写真はワシントン大学に保管されていますが、彼はシアトルの歴史家たちが見落としてきた写真家だと思っています。彼の仕事が注目されるために伝記執筆を始めました。

 彼の写真を長く研究した後、私は彼がどんな人物だったのかもっと知りたくなりました。幸運なことに、彼の同僚や友人、遠い親戚に知り合うことができ、彼らが手掛かりをくれました。彼はいたずら好きで、機転の効いたユーモアのある人物だったようです。

 執筆の中では、引退したブロードウェイパフォーマーのパット・スズキ氏とのインタビューがもっとも気に入っています。80歳を過ぎてニューヨークに住んでいますが、オガワ氏は、彼女がまだキャリアを始めたばかりの1950年代に、シアトルダウンタウンで彼女を写真に収めています。『とてもハンサムで性格も覚えています』と彼女は語っています。『彼のちょっと皮肉なユーモアが好きで、とても付き合いやすい人でした』」

もしオガワ氏に聞いてみたい質問はありますか。

 「なぜ彼が写真にそこまで関心を持ったのか知りたいです。彼の写真に加えて、ワシントン大学では全ての手紙も保管されています。友人、家族、編集者宛など、全ての手紙読むことができたのですが、純粋に芸術家や有名な写真家になりたいという希望を感じ取ることはできませんでした。

 オガワ氏にとって写真はあまりお金になりませんでした。彼はいつも『日雇い』の労働をしていました。写真を撮る仕事がない時、彼はパイプ直しやボイラー作りをしていました。そのような中で、なぜ彼が写真に没頭していたのか知りたいです」

 同書籍に関する詳細はhttp://www.wahmee.com/elmer.htmlまで。 
(英文記事 = 
マイヤ・ゲスリング、日本語編集 =
 遠藤 美波)

地元日系芸術家 ジョン・マツダイラ作品 エドモンズで公開中

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エドモンズ市のカスカディア美術館で、当地出身の著名日系芸術家、故ジョン・マツダイラ(松平)氏(1922年―2007年)の展示会が開かれている。

 マツダイラ氏は当地で生まれ、金沢で幼少時代を過ごし35年に帰米。第二次世界大戦ではアイダホ州ミネドカ収容所に家族と送られ、のちに米軍に志願し第442連隊戦闘団に所属した。大戦後の芸術活動で地元で高い評価を受け、同じく地元日系芸術家のポール・ホリウチ(堀内)、ジョージ・ツタカワ(蔦川)、ケンジロウ・ノムラ(野村)らと活躍を見せた。

 展覧会の題、「アゲインスト・ザ・ムーン」は同氏の人生、経歴を暗に示している。芸術家としての道を歩み始めた第二次世界大戦後、イタリア戦線で負傷し、身体的な困難がありながら、バーンリー芸術大学で美術を学んだ。作品はシアトル美術館などで展示され、高い才能を評価されてきた。
 マツダイラ氏の作品の特徴として、抽象画にもある月光に照らされる情景がある。日が出ている間を描いた作品にさえも月が描かれ、不思議な趣を映し出している。光と内観の質が同氏の絵画の神髄となっている。家族を抱え、一般生活に追われる中、夜間に時間を見つけ、絵画に励んでいたという。

 マツダイラ氏は寡黙で知られ、作品は優れた感性、才能を持ちながらも脚光を浴びることなく月光に対峙してきた同氏の人生を物語っている。

 作品は8月23日まで展示されている。毎週水曜日から日曜日まで会館。詳しくは、まで。

シアトルセンター
森澤さんアート公開

 初夏を迎え、様々なイベントが行われるシアトルセンターで、地元アーティスト森澤直子さんの作品「モールスコード・プロジェクト(暗号アート)」が展示されている(写真英語2面)。
 作品は全長10㍍以上になるパブリックアートで、庭の散水ホースに手を加え、モールスコードを組み込んで作られている。

 作品は8月1日まで、シアトルセンター内のポエトリーガーデンで公開。シアトルセンターは芸術文化局と共にポエトリーガーデンの仮設芸術プロジェクトを年間にわたって取り組む模様だ。

(記事・写真 =大間 千奈美)

日本、国立西洋美術館 新たに世界遺産登録へ

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日本政府は17日、東京上野にある国立西洋美術館がユネスコ世界遺産に登録される見通しとなったことを発表した。諮問機関からの評価を受け、7月10日からトルコのイスタンブールで行われる第40回世界遺産委員会で最終的な記載可否が決定する。

 同美術館は、ル・コルビュジエ氏(1887~1965)が建築。日本を含む7カ国が同氏の17資産を一括し、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」と題して共同推薦を行ってきた。

 ユネスコの世界遺産登録は、2013年富士山、14年富岡製糸場と絹産業遺産群、15年に明治日本の産業革命遺産(製鉄・製鋼、造船、石炭産業)が文化遺産として登録され、国立西洋美術館の載が決定されれば4年連続20か所目の登録となる。東京都内では初めて。

 現在暫定リスト候補の内、福岡県の宗像・沖ノ島と関連遺産群については来年第41回世界遺産委員会で登録が審議される予定。

    (N・A・P)

日系釣り愛好家の誇り 天狗クラブの記録、出版で残す 和み茶室で特別イベント開催予定

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 当地日系釣り愛好家の集まり、天狗クラブの活動、鮭釣り大会の記録を記した『TENGU(天狗)』が出版された。著者は約50年にわたり会に携わってきたシアトル日系人会共同会長の田原優さん。本紙などが主催するブックイベントも和み茶室で18日を予定している。

 毎年10月から12月の日曜日早朝、エリオット湾に浮かぶ釣り船の数々。日系社会の冬の恒例行事となる天狗クラブによる黒口鮭ダービーは、毎年の優勝者に手渡される天狗の盾を目指す多くの参加者でにぎわいを見せてきた。

 第二次世界大戦前、一般の釣り大会や関連団体への参加は人種偏見などで難しい時代だった。釣りは潮干狩り、松茸狩りとともにノースウエストのアクティビティーとして欠かせない。日系移民で発足された釣りクラブは人気を呼んだ。

 第二次世界大戦では太平洋沿岸から強制退去を受けるが、戦後に要望が集まり再開。1回では足らず、2回大会を連続開催。シアトル発祥の「ムーチング」と呼ばれる釣り方で大物を目指す。現在まで続く伝統行事の基礎ができた。

 同クラブは大戦前や50、60年代に一世、二世を中心に人気を集め、本紙などでも毎週の釣果が大きく取り上げられてきた。近年は環境の変化もあり、釣果、サイズともに減少、世代を経て会員減など会の存続が危ぶまれることもあった。それでも、会員の顔ぶれを変えながら、ワシントン州で最も長く続く鮭釣り団体主催の釣り大会として、根強く親しまれ続けている。

 『天狗』では約80年わたる活動、釣り業界や社会への貢献、理解、これまでの大会の歴代優勝者、活躍者を写真ともに紹介。田原さんが歴代の会員から直接耳にし記録してきた資料を約250㌻の英語本で紹介している。

 田原さんは同書で「家族、友人だけでなくコミュニティーに天狗クラブが伝わってほしい」と紹介。初版の200部は無料。天狗クラブ関係者に贈呈後、希望者に手渡される。詳しくはtaharas@comcast.net、(206)361―2970、(206)604―2542まで。 

 またサイン会や天狗クラブの歴史紹介を兼ねたイベントを18日午後1時から和み茶室で予定している。詳細は本紙来週号で発表される見込み。

 (N・A・P)

ノースウエスト・エミー賞 地元テレビ関係者へ栄誉 歴史・文化特別部門で 二世ベテラン作品受賞

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ノースウエスト・エミー賞授賞式でマツダさん(左)。

       写真提供 = ローレンス・マツダ

全米テレビ芸術科学アカデミーのノースウエスト支部による2016年度エミー賞受賞式が3日に開かれた。数々の表彰の中で第二次世界大戦の日系兵士のストーリーを描いた短編アニメーション『An American Hero: Shiro Kashino』が、歴史・文化特別プログラム部門で受賞。脚本担当のローレンス・マツダさんらが表彰を受けた。

 同プログラムはシアトルチャンネルが制作。当地に縁ある日系人部隊経験者6人の経験を描いたグラフィックノベル『Fighting for America: Nisei Soldiers』が原作で、NVC財団とウイングルーク博物館が共同で発表した。受賞作品は最初のストーリーにあたるシロー・カシノさんの経験を取り上げている。

 受賞を受けてマツダさんは、「歴史の中で第二次世界大戦の日系人のストーリーはしばしば忘れられてきています。この賞が日系人のストーリーがいかに重要かを物語っています」と語る。

 マツダさん自身は初ノミネートでの受賞。授賞式では監督のシャノン・ジーさん、映像のランディー・エンさんらと賞を分かち合った。小説でデザインを担当したマット・ササキさんのグラフィックも受賞の大きな要因になったとも話し、「今後テレビ業界を志望するアジア系米国人に良い影響となれば」と続けた。

 地元日系関係者や関連作品も各賞でノミネートされており、シアトルチャンネルからは、地元グラフィック・アーティストのKEN TAYAさんを追ったドキュメンタリー映画『Community Stories: Enfu』や地元太鼓団の活動を描いた『CityStream: Taiko!』などが選ばれていた。

 関係者によると、シアトルチャンネルでは、『Fighting for America: Nisei Soldiers』から2人目として、フランク・ニシムラさんを取り上げた作品制作を進めている。今秋のNVC財団のイベントで初公開される予定という。

(佐々木 志峰)


マンザナー国定史跡  日本庭園とその生みの親たち

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マンザナー国定史跡に残る日系収容者が手掛けた日本庭園。           写真 =小林 竑一

カリフォルニア州にあるマンザナー国定史跡の庭園は、第二次世界対戦時に強制収容された日系人が手掛けた環境修正、改善において、歴史的、象徴的なものといえます。
 マンザナーの日本庭園は、スタイリッシュなコンセプトと、何百年を超える庭園作りの伝統により育まれた要素を組み合わせ、日本の歴史、文化、世界観、宗教、美学を表象しています。マンザナーの文化的風景を特徴付ける存在で、米国家歴史登録財に登録されるための4つの要件、さらに米国定歴史建造物に認定されるために必要な条件の多くを満たしているのです。
 マンザナー総合管理計画と関連部署において、庭園保存と復興に重きが置かれてきました。庭園管理計画では、総合管理計画で設定された目標を達成すべく、特定の手法が規定されます。庭園管理計画で、マンザナー庭園の全貌を知る機会を得ることができます。
 全ての業務は、内務省の定める基準や歴史的財産の取り扱い指針に適うよう手配されます。史跡の持続性を確保するため、新たに育てられる植物は干ばつに強く、無造作に繁殖することのないもので、設置される灌漑や水関連設備は、水節約の機能を持ったものが選定されます。バリアフリー通路、理解をサポートする様々な形態の媒体により、広く開かれた空間としても存在感を発揮することでしょう。
 ツアーロードに沿って位置する3つの庭園には、植物が植えられ、水に関連した設備が設けられます。庭園は▽33区画 ─アライ養魚池▽34区画 ─山紫園▽メリット公園となります。
 3庭園は、マンザナーで最も知名度の高い地区公園、兵舎公園、軍食堂公園にあり、それぞれが近くに位置し、ツアーロードを通じ徒歩で見て周ることができます。近くには井戸や、果樹園の灌漑パイプラインが存在し、水を引くのは比較的容易だと考えられています。
 管理地区内では、被抑留者が白人向けに設計した庭園と、自身のために製作した庭園の2つ▽玄関口庭園▽管理環状庭園庭園は、それぞれの違いが観察できるように歴史的状態を鑑み復元、保護されます。
 庭園は岩、ヨシュアの木、さぼてんに彩られた枯山水の庭園となります。時折、手作業での水やりや、定期的な植物の植え替えが必要となりますが、灌漑設備は必要ありません。
 マンザナーは、孤児院の併設された、唯一の日系人収容施設であったことから、子供の村とチェリー公園は、心に訴えかける抑留の象徴として一部復元されるべきです。さらに保護対象の認識、記録には、考古学的発掘も必要となります。
 デモンストレーション区画での理解を深めるため、14区画 の小さな芝生や庭園を利用し、レプリカの建物を設置します。説明文や適切な施工とともに歴史的、考古学的な関連データを得ることができるようになります。病院庭園、9、12、22区画の軍食堂庭園では、同庭園独自の重要な機能や特徴の復元も考えられます。
 その他にも、歴史的な記録や口頭伝承で、様々な庭園が大事な宝として受け継がれてきました。より明確な状態評価を行なうためには、考古学的な調査も必須でしょう。
 マンザナーにある多くの庭園は、そのままの状態を安定して保つことが可能です。庭園の「手つかず状態」 を維持することで、被抑留者が足を踏み入れた当時の乾燥した過酷な環境、また砂漠特有の冷淡な雰囲気を喚起することができます。
 庭園管理の計画実行は、プロジェクトにおける追加資金調達によりますが、現在の職員態勢でも実現可能です。安定的保存、メンテナンス、モニタリング、職員トレーニングは、長期的成功に欠かせない要素となります。
 効果は圧倒的なものが予想されます。復元された庭園への訪問者は、日系人収容について学ぶ機会を得、またより深く、収容者が残した史跡を理解するようになります。庭園が人々を導き、過去との接点を提供します。マンザナーの庭園は、適応、反抗、回復、希望の印として、過去から現在に至るまで、重要な存在となってきました。
 米国立公園局は、文化的、教育的に大きな意義を持ち、美学、知的刺激を兼ね備えた遺産を、後の世代へと継承すべく、保全にまい進しています。
 (小林 竑一)

沖縄県人会 鼓衆、当地で活躍 「エイサー」の掛け声とともに

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 シアトルも毎年の恒例行事、夏祭りの開催が集中する季節を迎えた。屋台や盆踊りなど、さまざまな訪問客が集まる各地域のイベントでダイナミックな演奏を見せる太鼓集団がある。独特の穏やかさと迫力の緩急を持つ琉球芸能を披露する沖縄県人会太鼓クラブは結成9年目。今年7月からは沖縄の浦添市を拠点に置き、県外や海外でも活躍する親団体「鼓衆 若太陽(ちじんしゅう わかてぃーだ)」の名前をとって「沖縄県人会 鼓衆」となった。

 同会をまとめてきたマヤ・スレイタムさんは結成当時、「沖縄の歌には興味がなかった」と振り返る。偶然に訪れた県人会の集まりで誘いを受け、県人会の副会長を務めることになった。「自分の島(沖縄)のためになにかしたい」と思いはじめ、過去にも結成しては解散を繰り返していた太鼓グループの再結成に乗り出した。「今ではエイサーを聴くとわくわくする」と話し、移動中の車内にも沖縄音楽が流れていた。

 同団体はオリンピア、オークハーバーなどピュージェット湾各地で活動している。メンバーは沖縄出身者だけではない。興味がある人は誰でも参加でき、オークハーバーには十数人のメンバーがいるが、その中で沖縄出身者は一人だけという。

 タコマで月に一回行われる合同練習に全員が参加することは難しいが、それぞれの地域から何人か参加するように呼び掛けている。オンラインで練習映像も発信しており、各人の予定に合わせ練習している。

 夏祭りや学校での披露に加え、シアトル・マリナーズのジャパンナイトで出演経験もあるパフォーマンスは、太鼓の部、三線の部、踊りの部、獅子の部など沖縄の伝統文化が多彩に詰まっている。現在メンバーは58人で年少は太鼓の部の3歳から、踊りの部はシニア層が活躍しており、80歳のメンバーもいる。子供には年長の学生が撥(ばち)の持ち方から太鼓を教え、シニアは一世代下に踊りを教える。世代を超えた練習場にはエイサーの掛け声であるフェーシが行き交っていた。

  「2年前、パフォーマンスを見て涙が出た」という昨年大学を卒業したばかりのエバン柳田さんと、沖縄出身で留学中の宮里七海子さんが現在は練習指揮をとっている。練習中はウチナーグチ(沖縄言葉)、日本語、英語などが混ざりあい、子どもからシニアまでをまとめるのは一苦労といった印象を受けた。

 だが二人に苦労を聞くと、ただ「楽しいです」という答えが返ってきた。指導中は細かく丁寧に教えている二人もパフォーマンスとなると一変。その迫力に圧倒される。

 二人は来月から始まるシアトルでの練習も指揮をとる予定。練習は第二、第四月曜日、午後5時からワ州日本文化会館で行われる。現在参加者を募集中。詳しくはmiaslattum@yahoo.comまで。

(記事・写真 =

  大間 千奈美)

取材後記

 筆者が練習を見学しに行った際に、「いちゃりばちょーでー」と言うウチナーグチを教わった。「『会えばみんな兄弟』という意味なの。何か困ったことがあったら兄弟だと思って甘えてね」

地元墨絵アーティスト 支援団体30周年を記念

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地元墨絵団体「ピュージェット湾墨アーティスト(PSSA)」が設立30周年を迎え、タコマ公立図書館で記念展示会「Ink Play: Celebrating the World of Sumi」を開催している(写真英語1面)。
 1986年、日本や台湾など、墨を使った芸術作品を扱う関係者によって立ち上げられ、ピュージェット湾地域から参加アーティストは80人以上に上る。30年間の活動では、ワークショップや展示会、墨絵教室もあり、会員の技術も大いに向上した。今回の記念展示会でもいかんなく披露されている。団体ウェブサイトによると、3年に1度、会員は京都国際文化協会のイベントに出展しているという。 
 8日には30周年を祝い関係者が集い、団体発足者の1人で今回の展示会作品の審査を担ったフミコ・キムラさんから作品表彰が行われたほか、訪問者にデモンストレーションが披露された。
 アイダホ出身で二世のキムラさんは第二次世界大戦時を含めた7年を日本で過ごした。美術教師から学んだ日本画に影響を受け、墨絵に携わっている。「墨と書の芸術にある平穏な美と伸びやかな力強さを備えた墨絵に感謝したい」と語り、30周年の活動を振り返った。
 展示会は11月12日まで。詳しくはhttp://sumi.org/pssa/まで。 
  (佐々木 志峰)

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